「精神障がい者は、今の社会を新しく変えて行く存在である!」          

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イタリア映画上映会
「むかいMattoの町があった」
ボランティア参加者の感想レポート 


            「むかしMattoの町があった」を見て
 
 「Mattoの町」ってなんだろう、そんな思いで映写会に参加しました。実際に参加して、この映画をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いました。一人の精神科医の活動が最初は反発を受けながらも少しずつ受け入れられていく様子や、精神障害を抱え生活していく難しさ、家族の生活・思い、考えさせられる場面がたくさんありました。例えば、少し人と違っただけで精神病院にいれられてしまったマルゲリータ。看護師にひどい仕打ちを受けたり、母親からの虐待など目を覆いたくなるほどつらい場面もありました。しかし、その中でフランコ医師や同じ障害を抱えた人たちとの関わりの中で少しずつ表情が戻り一人の女性らしくなっていく様子は見ていて涙が出るほどうれしいものでした。
 このように、イタリアで精神障害者がどう受け入れられ、環境が整えられてきたのかを知るいい機会になりました。しかし、日本でどのようにして改革が行われてきたかなど反映していくには少し難しいのかなと感じます。日本でも、誰でもかかりうる疾患として認められ「四大疾病」と認定されるなど少しずつ受け入れが進んできたように思います。しかし、「うつ病」や「統合失調症」というと社会から嫌煙されているのも事実です。少しでも精神障害を抱えた人たちが生活しやすくなる社会にするためには、もっと日本のことについても考える機会が増えればいいなと思います。そのきっかけの一つとして今回の映写会は私にとって良い刺激になったように思います。もっと、いろんな機会でこうした映画を見たり知ったりすることができるようになればいいなと思います。

            「むかしMattoの町があった」        

 マルゲリータが母に病院へと連れてこられて、勝手に髪も短く切られ暗い部屋に多くのベッドがあり看護師は犯罪者のように彼女たちに接していてマルゲリータは拘置所に入ったのかと思うほどだった。患者同士で暴れると、言葉もなく手慣れた様子で呼吸ができない苦しみや電気ショックをして患者を押さえつけており、ひとつの仕事として普通に行っていた。人間と人間の関わりのはずなのに、両者の間には言葉が交わされず人間と動物のようだと感じた。バザーリアに出逢ったマルゲリータは、網の中にいて獰猛な動物を扱っているようだと思った。ボリスも手足を鎖でつながれていて衝撃的だった。バザーリアはボリスと出逢って間もないのに鎖を外して、食事を自分で取らせようとしていてボリスが出来ることを自分で行えるように、外界へ再び興味を持てるように関わっていた。バザーリアがボリスを一人の人間として尊重し、ボリス自身が鎖でつながれる生活を脱せるようにボリスが自分で人間らしく考え、ボリスは異性へ恋愛感情を持ったり外での活動を行ったり外界へ興味を再び持てるようになったのではないかと思った。バザーリアは洋服や髪型の自由、所持品の管理ができるように机を置いたり、外泊の許可を出したり、役割があったり人間らしく生活する中で当たり前のことを以前の病院から改善していって、狂気で自分のことばかり考えている患者が変化し、表情がだんだん豊かになってきていると思った。また、働いている医療従事者の認識も次第に変化していたが、患者家族は協力的に見えるだけで外泊が患者に良い影響を与えるばかりではないことを知った。


          「むかしMattoの町があった」を観て

 マルゲリータが檻に閉じ込められているシーンや、ボリスが手足を拘束されて身動きがとれないようにしてあるシーンが衝撃的で印象に残っている。とても人間とは思えない生活の様子がみえた。マルゲリータは看護師に辛い治療から助けてほしいと訴えていたが聞いてもらうことができず、つばを吐く行為によって思いを表していたけれど、その行為をすることによって看護師たちにさらに拘束されてしまうことに疑問を抱いた。
 悪いことをしたわけでもなく、精神の病になりたくてなったわけでもないのに、患者たちは思いを聞いてもらえないまま、受け入れてもらえないまま、人間らしさのない辛い生活を強いられている状況が信じられないと思った。精神患者がこれまでの歴史の中でそういった生活を強いられてきたという事実を大学での学びの中で知ってはいたものの、実際にその映像を観るととても衝撃的で目を背けたくなった。  一方で、精神科医バザーリアが入院患者たちの話によく耳を傾け、思いを尊重するように関わっていたこともまた強く印象に残っている。自由な生活の中で、失敗しながらも働いたり、誰かを愛したり、日々の出来事や様々な人と関わっていくことで学んでいく。そのように、健康な私たちにとってはごく当たり前の人間らしい生活の中で、患者の方々が自信や安心感を得ていくことがとても大切なことだと映画全体を通して感じた。
 精神に病を抱える人たちが生活者として、人間らしい生活をおくっていくことができるように、生活の場に寄り添い、支えが必要なときにはその人の回復につながるように手を差し伸べることが医療者の大きな役割なのかなと思った。
 私は看護を学んでいる立場で、精神科実習を終えてこの映画を観ることで、それまでの学びと重ねながら、学びがより深まったように思える。精神についてほとんど知らない人がこの映画を観ても、きっと何か感じるものがあると思うし、精神の病を抱える方たちのことを少しでも知ってもらえるきっかけになるのではないかと思った。映画観ることができて良かったです。ありがとうございました。


          「むかしMattoの町があった」の上映会感想

 むかし、イタリアではこんなにも精神患者が悪者のようにされており、またモルモットのように実験に使われていたことに驚いた。また、病院も閉鎖的で、病院のスタッフと患者には大きな壁があり、スタッフも患者のことを人間として扱っていないことにも驚いた。精神科での実習では、ほかの病棟の実習と違い閉鎖的な感じであったが、映画の中での病院はもっと閉鎖的であったので、これでは病院というよりも収容所のようであると感じた。それに対して、フランコが疑問を持ち改革していこうとする姿を見て、難しい問題に取り組んですごいと思った。
 徐々にその改革が進んでいく中で、問題が起きその病院を追われても、あきらめずにまた新たな病院の改革をしようとするのは本当に根気のいることだと思った。まだまだ、ひどいなと思うことが映画の中で描写されていたが、日本の精神科病院でも行われていることなどもあり、やはり日本の精神科病院は遅れているのだと思った。
 精神保健センターを作るときに、地元の住民との話し合いで住民は精神疾患の患者を怖い人、狂人と思って外にも出歩けないと言っていたが、それは日本でも同じことで、家族でさえも家では看れないと言って退院できるはずなのに退院できずにずっと病院で過ごしている人もおり、一般の人にもっと理解してもらえる機会を作ることが世界共通の問題なのだと思った。
 日本でも、この映画のように精神科病院を廃止にする運動が広がっていけばいいのになと感じた。もっと、この映画を多くの人に広め、それぞれがいろんなことを考え、精神疾患患者について知るきっかけになればよいと思った。


         「むかしMattoの町があった」の感想

 昔のイタリアの精神科病棟の状態を見て、囚人または動物のような扱いを受けているように感じた。人間として見られず、危ないからといって縛られたり、檻に入れたり、その人の行動には認識があるのにその行動しか見ていないような感じがして悲しかった。バザーリア医師がある精神科病棟を自由にしていくことで、患者さんの行動にも変化が表れていて、人間らしく生きているように見えた。
 例えば、全身縛られ、食事を看護師から与えられていたボリスは、自分で食事をとったり、昔つけていたピアスをつけたり、それから他者を気づかえるようになったりと、認識が自分だけでなく他者にも向けられるようになっていったので、行動を縛ることは人間らしさをなくすと改めて感じた。
 また、外出していく患者がいるけど、家族関係でなにか問題があって症状が悪化することもある。だからこそ、家族を含めて看護していくことが必要だと感じた。患者さんに何か変化があると、バザーリア医師は必ず患者さんと向き合い、話をしている姿をみて、患者さんの認識に寄り添うことから治療が始まっているように感じた。目を背けたくなるような場面もあったけど、患者さんの感情や家族の反応がリアルに表されていてわかりやすかった。


            「むかしMattoの町があった」

 むねが痛くなるようなシーンが多くあり、中学生の時、学校の授業でヒトラーの時代のユダヤ人迫害に対しての映画をみたときに出てきた収容所を思い出した。今でもその映画の映像が頭に残っていて、今回見た映画も忘れることはないだろうと思う。 バザーリアは多くの人が精神疾患をもった人々への医療が自傷行為をしないよう助けること、薬、電気ショック、拘束・・・しかないと医学的な面で考えられていた時代に疑問を持ち、人間性とはなにか?と考え、世間に問いかけていた。多くの人の意見に飲み込まれず、疑問を持ったことがすごいと思った。
 ある患者が帰宅途中に妻を死なせてしまう事件がおこりマスコミにたたかれるシーンで、バザーリアは別の新聞記事の事件を例に取り、これも未然にふせげたのか?と問うたところなど、精神の病を患っているというだけで、“あいつらは危ない”と決め付けている世間。病気じゃないから犯罪を犯さないのか?そうではないことは普段ニュースや新聞を見ていれば容易に分かることなのに、最初から決め付けているから分かることも分からなくなるのかも知れない。
 ボリスが苦しいから狂うのか?狂っているから苦しいのか?とバザーリアに問うところが印象に残った。
 映画を見て、家族や地域への理解がまだないため地域、家族のもとで暮らすことが困難になっていると感じた。また家族もさまざまな生活過程のなかでさまざまな思いで患者を受け止め、社会で地域で生活している。患者が戻っていくところはどこなのか考え、家族まるごと看護することが必要であると感じた。
 また、精神の実習を通して現在は地域に患者がその人らしく生活できるようさまざまな支援があるが、社会が病気への理解がまだ乏しく映画のような電気ショックはなくても、ゆっくりゆっくり進歩していっているのかなと感じた。私は、人の意見もしっかり聞き鵜呑みにせず、自分で考え行動していきたいと思う。

 実習にいくまえにこの映画をみて、また実習後にみていたらまた違った視点で見れたのかも知れない。実習前にも見たかった。


          「むかしMattoの町があった」を見て

 今日の映画を見て、日本の精神科医療が遅れているように思えた。
 1970年代には今のように進歩した薬があったわけではないのに、医者や看護師の関わり方や患者さんの置かれている環境次第で、患者の状態は良くなっていく様子が映画からは見られて、患者さんの状態を変えていくのは薬だけではないのだと実感できた。また、精神保健改革を行い始める前は、患者さんを人間だと思っていないような看護が提供されていたり、病院外の人々も患者さんのことを人間だと思っていない様子が伝わってきた。実習で精神の疾患を抱えている患者さんと関わらせていただいたが、その時に患者さんが病院外の人に(この病院に)入院していることが知られたら困ると話していることが何度かあり、患者さん自身が偏見を感じながら生活しているのかなと感じる場面もあった。
 現代の日本も精神疾患に関する正しい知識が広まってきているものの、まだ偏見があるように、大して変わっていないということも感じられて、少し複雑な気分になった。しかし、映画に出てくる患者さんが楽しんだり、苦しんだりしながら、日々、人間的で健康な生活を取り戻していく様子を見ていると、患者さんが健康的な生活を送っていけるように看護者にできることはたくさんあるのだと思った。そのためにも、健康的な生活とはどのようなものなのか、自分が普段当たり前のように生活していることで見失わないようにしようと思った。
 日本も同じように精神科の病院をなくすということはまだまだできないのだろうけど、そうでなくても病院に入院している患者さんが、少しずつでも自立度を高めながら、健康的な生活を送っていけるよう手助けしていけるような看護を提供していくためにはどうすればいいのかこれからも考えていきたいと思った。


          「むかしMattoの町があった」を見て

 映画を通して、改めて精神医療の今までの経過を感じ直しました。そして、これからの精神医療のあり方について、考えさせられました。精神病院がない社会、地域、世界。日本では、まだ考えられない状況にあります。精神病院をなくし、地域で生活するためには、住民の受け入れ体制と理解が不可欠です。そう思ってしまい、頭では地域で暮らせるようにと、わかっていても、踏みとどまってしまうとおもいます。 しかし、この映画では時には大胆に行動し、改革を成し遂げていっていました。その結果、時にはトラブルも、成功もたくさんのことがあったと思います。しかし、新しいことをして、試みていく為には、踏みとどまりすぎてはいけない、と感じさせられました。
  実習で閉鎖病棟に行きましたが、鍵がかかった生活で、外とのつながった環境が、少ない現状にあります。症状が悪化すればするほど、自由は小さくなっていってしまいます。患者のために、一番に何が大切なのだろうかと、疑問に思いました。鍵がある環境イコール、守られた環境ではあるけど、患者さんの人生やこころ、自由自体が、守られているわけではないのかもしれない、と考えさせられる映画でした。


          「むかしMattoの町があった」を見て

 精神科病院での臨地実習を終え、この映画をみて、そこでは考えられなかった以前のイタリアの精神科病院の現実に驚きました。檻のようなものの中に患者さんが入れられていたり、手足は常にベッドに縛り付けられていたり、漏斗を使って食事をとらされていたりなど様々な抑制が強いられて、目を背けたくなるような場面もありました。しかし、新しく来た精神科医が一人一人に合わせて抑制をはずしたり、それぞれの思いを聞いたり、患者さんが意見を言うことができる場を設けたりすることで、ひとりひとりがその人らしく生活できるようになっていたのではないかと感じることができました。もちろん、抑制をはずしたり、突然地域に出ることで新たな問題がでてくることはあったけれど、実際にしてみなければわからないことも多くあると感じました。そして、たとえ症状が重かったとしても、ひとりひとりと向き合い、患者さんはこれからどうしていきたいのか、患者さんの思いを聞いたりして感じることが大切だと思いました。また、抑制することでそのひとの持てる力やその人らしさも失われていると感じ、病気の症状に合わせて抑制することが必要なときもあるかもしれないけど、最小限になるようにすることが回復や持てる力の発揮のためには必要だと改めて感じました。
 現在の精神科病院では、ここまで抑制が強かったりすることはないけれど、それは、このような時代が存在し、それを改善しようという方々が現れて、その方たちの何年にも渡る積み重ねがあったからであるということがよくわかり、時代の流れを感じることもできました。


   
 
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