「精神障がい者は、今の社会を新しく変えて行く存在である!」          

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ふれあい交流会「みんなで、ふれあって、つなぐ、明日のみやざき」

公立大「ふれあい交流会・Vol.1」

日時:5月13日 14時40分~16時30分
場所:公立大2階 多目的教室


~辻ゼミ学生感想~


「ディスカッションの気付きと感想」

 精神障がいについて話を聴く中で、精神障がいは誰もがなる可能性があり、身近な障がいであることが分かりました。実際に精神障がいを持つ方に話を伺うと、自分の考えをしっかりと持っており、障がいを持っていると言われるまでは精神障がい者であるかどうか分からないと感じました。しかし、目に見えない障がいであるために、理解されにくく、苦労をしたり、ストレスを感じたりする場面が多々あることが分かりました。

 精神障がい者の方々に、抱えている障がいを打ち明けて周囲の理解を求めるように働きかけるのか、それとも打ち明けずに過ごすのかは、どちらが気分的に楽なのかについて意見をお聴きしたところ、どちらか一方という訳ではなく、場面や状況によって使い分けている方が多いことが分かりました。打ち明ける時の状況や心境については、やむを得ず言わないと説明がつかない場合に打ち明けることがあったり、信頼している相手に自分のネガティブな部分も含めて知ってもらいたいという気持ちがあったりなど、様々であることも分かりました。また、自分自身の損得で言う相手を決めるという意見もありました。確かに、誰彼構わず自分の全てをさらけ出すというのは障がいに関係なく、それなりの信頼関係がないと難しいことだと思いました。

また、今回のディスカッションでは「普通」という言葉について考える機会になりました。私も日常的に普通という言葉を使いますが、改めて考えると、自分の価値観の押しつけのような言葉だと思いました。普通という言葉は、同じ社会や組織に所属する人たちが互いの感覚を共有するためのより所になる言葉だと思いますし、逆に、その普通という概念に共感できない、または属さない人を分けてしまい、排他的な言葉になってしまうと私は考えます。例えば、赤信号では止まるなど、規則的なものについては普通という言葉が当てはまると思います。しかし、人に関しては自分で自由に考え行動する力を持っているし、考え方も人それぞれなのに、普通という言葉で一くくりにしてしまうのは浅はかな表現だと、今回の話し合いの中で感じました。

障がいという言葉にするとネガティブな印象を受けますが、話を聴いていると個性という言葉の方が当てはまるのではないかと感じました。人との関わりを求めている方も多く、その個性を周囲が認識して協力できるようにする環境が必要です。そして、精神障がい理解には、障がいを持つ方が伝えたいと感じたときに自分の考えを伝える、聞く側はそれを拒絶せずにしっかりと聞くというコミュニケーションが大事だと思いました。また、伝えたいことが自然に言えるように出来る環境をどう作っていくのかも、障がい者理解の上で考えなければならないことです。その事から、今回のような交流会を開いて、実際に話を聴いたり意見を交わしたりすることはとても良い機会でした。


「ふれあい交流会を通して」

今回のふれあい交流会を通して、自分自身いろいろな事を考える良い機会になりました。

学生からの質問の場面では、自分自身の体験から精神障害を他人に打ち明ける時の、心境などを聞くことができ自分を見つめなおし、友人をさらに大事にしようと改めて思うことができました。言葉にすることは簡単なようでとても難しく、さらに精神障害という壁が双方にあるのではないかと感じました。
 
 実際に、友人に打ち明けてもらえたことは、お互いの信頼関係あってこそだったと思い返すと、嬉しく思えました。実体験と、今回のお話で精神障害というものは誰にでも身近に、ある日突然訪れるものということを実感したが、私自身の受け取り方は、依然と変わらず、人が日常的に風邪になるような、そのように捉えている。

 その後の話で、「普通」について話し合ったが、普段「普通」という言葉に対して、一般論としての概念は存在しないと強く思う。個人が今まで生きてきた、価値観や偏見によってその人の「普通」が形成され、他人と共感し、母体が増えることによって、一時的な「普通」が生まれるのではないのかと感じた。

 今、自分を基準としている世界の中で、日常的に行えることが「普通」であって、自分からしたら他人のすべてが普通じゃないのかもしれないと考えると、今回の場合、精神障害について知ることで、自分の世界に受け入れ、自分の基準の中に入れることができれば、精神障害も個人の中の日常、「普通」に属するのではないのかと思った。

 お互い歩み合って、理解することで固定観念すらも取っ払うことができればと、改めて考えることができた時間でした。自分の友人も含め、今後の見解を広め、よりよい関係性を気づいていきたいです。


『ふれあい交流会を通して』

 今回のふれあい交流会では、貴重なお話をたくさん聞かせていただきました。特に私が印象に残ったお話は「普通という言葉の定義はない」ということでした。「普通って何だろう」というテーマで話し合いを進めましたが、結論は出ず、そもそも普通という定義がないのではないかという話になりました。話し合いの中盤では、「普通じゃないということはどういうことだろう」というテーマに変わり、「自分にとって理解できないこと」「世間一般論から外れたことをすること」という意見が出ました。    

私も自分が理解できないことが「普通ではない」と思っていましたが、他にもたくさんの意見があり、自分の思っている「普通」と、他人が思っている「普通」には大きな違いがあることを発見しました。

また、私たちが普段何気なく使っている「普通」という言葉も、それを受け取る側によっては相手を傷つけている可能性があるということにも気づくことができました。

精神障がいを持つ方は「周りの理解が得られればどんどん打ち明けたい」とおっしゃっていました。精神障がいは風邪のように薬を飲んですぐに治るようなものではなく、自分から障がいがあることを周囲に言わなければ気づくことができません。働いている人は、障がいがあることを打ち明けると解雇される場合もあるそうです。

私はお話を聞いて、周囲の理解が本当に必要だということを感じました。そして今後は、障がいを「個性」としてとらえることも重要になると思いました。世界中にはいろいろな人がいて、それぞれ多様な考えを持っているから面白いし、多くのことを学ぶことができます。自分には理解しがたいことでも、その人の個性を尊重することで、よりよい関係を築くことができるのではないかと思うのです。

時間はかかるかもしれませんが、どうすれば障がいを持つ方が快適に過ごせる世の中になるのか考えていきたいと思います。


~感想~

 今回は貴重な時間をいただきありがとうございました。短い時間でしたが精神障がいについてあらゆることを学ぶことができよかったです。

 私はこの会に参加するまでは、精神障害がいの方と直接話を聞いたこともなく、精神障がいの事についての知識もほとんどありませんでした。また今まで私の中では精神障がいやうつ病の方は暗い感じなのかなというイメージが大きかったのですが、それが今回の会で大きく変化しました。

 まず、今回初めて精神障がいの方のお話を直接聞き、さらにアンケートを通して最初に感じたことは、精神障がいの方はみた感じではいたって私たちと変わらないという事です。しかし、グループ別で話を聞いたときに、私たちが8時間労働するのに対して4時間が限度だという事を言われて、また私たちにもあることかもしれませんが気分の波が激しい時ということも言われていました。身体障がいの方は見た目で分かることが多いですが、精神障がいの方は見た感じでは分かりにくいところが多いと思います。このように実際に話を聞かないと分からないことがほとんどで、精神障がいの方の気持ちにも寄り添ってあげることができないと感じました。

さらに驚いたことは、今回来ていたほとんどの方が、自分が精神障がいだという事を前向きに周りの人に伝えているという事でした。最初にも述べましたが、今までのイメージの暗いのではないかなというものと真逆でした。でも、それにはやっぱり周りの人や環境の理解も必要なのかなと思いました。

 最後に今回の会で“普通”というキーワードを中心に話し合いましたが、今回の話し合いを通して、普通とは何か決めるのは厳しいことだと感じました。自分では普通だと思っていても回りにとっては普通ではない、逆に周りは普通だと思っていても自分では普通ではないと感じる時があると思います。でも人はそれぞれ違う価値観を持っているし、個性があると思います、だから普通の基準を決めることは難しいし、決めるべきではないと思いました。

また、これについて話す機会があればいいなと思います。

ありがとうございました。 


「ふれあい交流会の感想」

 今回のディスカッションで、精神障害はこれから先私たちが1番同じ立場になる可能性の高い身近な障害であると同時に、その立場でない時には理解するのが難しい障害であるということを知りました。身体に不自由のある方々以上に精神障害者の方々は「普通」という言葉に非常に敏感だったり、やけに周りの目を気にしてしまったりしているように思います。それは、1番は精神の障害であるからだとは思いますが、周りの環境が余計にそう感じさせているのかも知れないなと思いました。

 例えば、車いすでの生活を強いられている方や知的障害のある方のための支援学校は設けられていますが、精神障害者のための支援学校はなく、いわゆる健常者と呼ばれる人々と同じ学校で過ごすしかありません。今回、「普通」ということについて特に話し合い、「普通の基準は人それぞれである」という話も出ましたが、その基準はこれまでの学校生活の中で特に植え付けられているように思います。

 自分とは違うタイプの人が周りのほとんどを占めていたらそれが「普通」だと思ってしまうだろうし、その違いについて否定的なことを言われたら「自分がおかしい」とか「自分が間違っている」というふうに感じるものだとも思います。そのような環境で何年も過ごしていれば、「普通」ということに敏感になるのも分からなくはないなと思いました。

 先生や参加者の方の話にも上がっていましたが、私も障害は個性であると思っています。健常者と呼ばれる私たちにも人それぞれ出来ること出来ないことがあるように、障がい者と呼ばれる人たちが持つものも同じであると思います。

 私の両親は支援学校で働いていますが、今日は生徒のこんなことが面白かったとかこんなところに驚かされたとかいうような話をしてくれます。どこかに不自由があったり何かが出来なかったりするからこそ、他の人とは見えるものが違ったりもします。障害の有る無しに関わらず、自分とは違うタイプの人と接することはとても面白いことです。障害のある方への様々な配慮は必要かもしれませんが、もっとその方々とのふれあいが日常的になるといいと思うし、真面目に話し合うばかりでなくもっと一緒に楽しめるようになるといいのになあと思います。

 そのためには、まずは今回のように様々な人と直接話したりふれあえたりする場を設けることが必要であり、その中で「自分とは違う様々な人がいることが“普通”である」ということを知ることが大事なのではないかと思いました。


「ふれあい交流会の感想」

「普通」は世間の認識、または自分と他人の比較であることを再認識し、言葉の重みを感じました。それと同時に、「普通」を気軽に使うためには、「普通〜ですよね?」よりも、「普段私は〜だと思っています」という主体的な言い方をする方が、責任感と、より説得力が増す柔軟な言い方は何か?と考えるようになりました。このディスカッションを機に、どれだけ「普通」という、意味も含めて誰かが構築した便利な言葉に頼ってきたかを思い知ったうえに、答えははっきりと出ていなくとも、不思議と理解出来た気がしました。こういった貴重な機会を設けてくださり、感謝しています。


「ふれあい交流会の感想」

今回、精神障がいの方々とお会いする前に、ゼミの中で障がい者のことについて少しは知識を得ているとはいえ、実際に接することはあまりなかったのでどうやって接したらいいのか不安だったんですけど、逆に積極的に話してくださってすごく助かりました。「普通」とは何かについて話し合うということだったんですけど、私の中では普通と聞くと周りと同じで安心できる、といったイメージでした。ですが、その考え方は人それぞれで答えがないものなのだと思いました。とりあえず、自分の普通を他人と同じとは思ってはいけない、他人に押し付けないように気を付けたいです。

やっぱりなれているとはいえ、自分の病気について初対面の私たちに話すのは、もし自分がその立場だったら中々できないと思います。精神障害について理解してもらいたい、と行動できるのは他の障がい者のためにもなっていると思うのでぜひ続けてもらいたいです。

障がいを持っていると公言することは田舎者だからと言うことと違ってマイナスのことしかないと言われていて確かに現状はそうだなと思い、それは変えなければならないことです。変えなければいけないとは分かっていてもどうすれば変えられるのかは今の私では答えは出せませんでした。これから第2回、第3回と続くのなら、その答えを見つけていきたいです。


   
 
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