「精神障がい者は、今の社会を新しく変えて行く存在である!」
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<人・モノ・情報の出会いによって活動を展開>
2023/12/25
12月の多職種連携を考える会「語ルシストの会」の定例会に関する報告です。
今回の講師は、前畑和樹氏(みつばち診療所勤務、介護福祉士&准看護師)で「訪問診療について」というタイトルで話していただきました。
みつばち診療所のある施設「HALEたちばな」の説明があり、2021年に開設され、重度の障がいを持った子ども達や医療的なケアを必要としている子ども達、ガン末期の患者様たちに寄り添える施設として、診療所(医療)・訪問看護ステーション(医療・介護)・短期入所(障害福祉サービス)・日中一時支援(地域支援事業)・カフェ運営などの事業を展開している複合施設だそうです。
自己紹介として、介護福祉士&准看護師という専門職で訪問診療に2015年から携わっていて、2022年から現在の「みつばち診療所」に勤務される。
通院が困難な患者、病院ではなく最後までご自宅や施設で過ごしたいという患者など、年齢や疾患を問わず訪問診療を行い、患者や介護をされているご家族などに寄り添った医療を提供されているそうです。
みつばち診療所での訪問診療看護師についてのスキルなども話され、患者が自宅や施設で適切な医療ケアを受けられるようにサポートする役割を担っていて、医師の診療補助をはじめ、問診やバイタルチェック、点滴交換やカテーテルの交換、オムツ交換やベッドメイクなど診療に関わるあらゆることを看護師は介助し、患者様とそのご家族の心理的サポートも、訪問診療における看護師の重要な役割で、医師とのパイプ役として立ち回ったりすることが看護師には求められるそうです。
今までみつばち診療所としては通院困難な高齢者や障害児者の方達の訪問診療を実施していて、精神疾患者に対して実施していなかったけど、近頃、訪問診療が実施される環境を整えたということで、語ルシストの会の訪問看護ステーションや包括支援センターなどと連携して訪問診療支援を実施されているということでした。
精神疾患者の自宅での訪問診療として、患者の日常生活の中で診療やケアが提供され、看護師や医師が患者の自宅環境を理解し、個別のニーズに応じたケアを提供できて患者の尊厳を保ちつつ、自立した生活を支援でき、この環境でのケアにより、患者は自分の生活に責任を持ちながら、サポートを受けることができることが病院への通院診療と違うとこだと思えます。
地域在住の精神疾患者に対して、国の施策としては地域支援として医療・福祉のアウトリーチ支援を推進していますけど、精神科病院や診療所などが訪問診療を積極的に実施しているとこがないに等しく、医療者の守旧派的姿勢である、患者に病院に来てください、という姿勢の病院が多いのが現状ですが、高齢者に対しては訪問診療が主流になってきている中で、病院や施設ではなく自宅で診て頂きたいという患者における医療改革を求める声がある事に応えた訪問診療の在り方ですが、時代の変化に応じて変わっていくことが求められている中で、患者中心の医療か、精神科病院(診療所)中心の医療か、問われることでもあります。
今回、訪問診療看護師として仕事をされている前畑氏に話して頂き、患者が自宅などで適切な医療ケアを受け、患者が安定した生活を送る為に必要な医療的サポートを受けながら自立した日常生活を営めるよう支援することが看護師の役割ではないか、という言葉にみつばち診療所の訪問診療の姿勢に共感するとこです。
2023/09/21
多職種連携とスローガンがあっても現実は医療と福祉が別々に支援しているので包括的にその人に必要とされる支援が成り立たない現状であるし、既存の支援や前例に則した支援をやっているのが精神障がい者支援の医療・福祉の現実であり、他の障害者の世界では「自分たちのことは自分たちで決める」という自己決定権やストレングス(自分の強み)などを生かした支援を行うことが主流になっているなかで、真摯に現状の支援でよいのかと疑問を持つ支援者に巡り合い、宮崎にも新たな支援を模索する方達が存在するということで、地域での支援の在り方として、地域密着小規模他職種連携によって全人的に支えることを実践する支援を目指すことをコンセプトにした「語ルシストの会」を立ち上げることになりました。
精神科病院や大施設での管理的な支援に憤りを感じて小規模であれ自分たちの目指す一方的でなく伴走する支援を実践するために立ち上げた人たちが、同じ小規模同士が連携して、大手やフランチャイズの事業所に対峙するためには支援の差別化が必要で、既存や前例を打ち捨てて新たな伴走する支援を作り出すためには実践してフィードバックできる場や真剣に話し合う場があることが求められていると思えます。
ビジネスでも福祉でもアートでも、誰もがやっていることや既成のことをやっていては衰退するのは必然で、いつもイノベーションや自己改革をやり続ける意思を持って推進することによって支持されるのであって、永遠に螺旋状の円を描いていくことを同じ仲間や同志の方達と研鑽していくことが継続できる最大の方法だと思えるので、「語ルシストの会」のコンセプトである人と人とが親しく交流をしながら真摯に忌憚のない話し合いができる場がある事が大事であると思えます。
これから、この会自体が地域の中で支持される会になり社会貢献できる資源として提供できるように、各々の専門職のスキルアップなどの研修会や「8050問題」という地域の課題などに積極的に研修会を企画できたらと考えています。
また、多職種と同じように同業種の連携も小規模の事業者が生き残るうえで必然と考えますので、積極的に色々な課題を話し合って協働した取り組みが大事と思います。
今回このように振り返ることができたのも「語ルシストの会」を継続的に開催してこれたからこそで、立ち上げに貢献して頂いた立山裕也氏(ココロとカラダのリハビリステーションほのか代表)や「語ルシストの会」のネーミングを考案して頂いた前畑和樹氏(みつばち診療所勤務)など40代前後の専門職の方たちが参加し、刺激し合う仲間たちに出会えたからこそと感謝しています。
2023/09/13
先日、語ルシストの会のメンバーの懇親会があり、多くの方たちと居酒屋に集まるということを3年ぶりに行いました。
コロナ禍の3年間は対人との接触を避けるということで孤立する中、そのような状況でも色々と精神障がい者の支援に関してかふぇらてを訪ねて来られる方達がいたことで、去年の10月からコロナの感染状況が沈静化してきたのでインフォーマルな任意で集まる会として「語ルシストの会」と命名して月1回の例会を始め、今年の9月で1年を迎えることになりました。
カタルシスとは「心の中に溜まっていた澱(おり)のような感情が解放され、気持ちが浄化されること」を意味していて、心の中の澱(ストレスなど)を浄化する場として「語ルシストの会」があります。
そのような中、残暑も厳しい時期に夏バテを吹き飛ばす懇親会をしましょうということで、親睦を兼ねて交流を深めながら、より地域での連携の必要性を話題にして和気あいあい忌憚のない意見をお互い話し合うことができる懇親会になりました。
立山裕也氏(ココロとカラダのリハビリステーションほのか代表)も記載している通り「精神障がい支援での多職種連携=大事な事は皆さん重々理解されています!しかし、実際はスローガン(口で言うだけ)を掲げるだけで、実際に継続した行動を起こしている方に立山未だかつて出会っていません。
地域に出て感じた事は、既存の精神障がい支援(地域)はフォーマル支援が異常な程、縦割りです。」
というように、多職種連携とスローガンがあっても現実は医療と福祉が別々に支援しているので包括的にその人に必要とされる支援が成り立たない現状であるし、既存の支援や前例に則した支援をやっているのが精神障がい者支援の医療・福祉の現実であり、他の障害者の世界では「自分たちのことは自分たちで決める」という自己決定権やストレングス(自分の強み)などを生かした支援を行うことが主流になっているなかで、真摯に現状の支援でよいのかと疑問を持つ支援者に巡り合い、宮崎にも新たな支援を模索する方達が存在するということで、地域での支援の在り方として、地域密着小規模他職種連携によって全人的に支えることを実践する支援を目指すことをコンセプトにした「語ルシストの会」を立ち上げることになりました。
2022/02/07
知り合いのピアサポーターからピアサポートに関する研修案内があったので、事業に関して所見を記載することにしました。
精神障がい者地域移行支援事業研修会の案内は、以下です。
https://www.facebook.com/groups/414367005331088/?ref=bookmarks
今回の研修会は、精神障がい者地域移行支援事業研修会であり、精神障がい者支援体制加算対象研修としても位置付けられているので、2日間の研修を受けると修了書が交付され、修了書があると体制加算対象事業所にピアサポーターとして雇用されるという流れを国としては推進することになる。
国は2010年にピアサポートの効果および必要性を認めて退院支援などの事業の中にピアサポーターによる支援を推進する方向で事業を組み立ててきたが、それを実現するには、民間の法人や施設がピアサポーターの必要性を認めて事業として実施することが求められている中で、活用に対して消極的なために遅々として進まない現状であった。
2018年から、国が「精神障がい者に対応した地域包括ケアシステム」の構築という施策の中で、「ピアサポートの活用にかかわる事業」という内容の事業があり、ピアサポーターを養成して活用することを推進する事業が予算化される。
2020年度より厚生労働省が創設した「障害者ピアサポート研修」(実施主体は都道府県および政令指定都市)が事業化され、2021年からピアサポーターに体制加算を付けて雇用を推進する方向になる。
宮崎県は、障害者ピアサポート研修を2020年は実施せず2021年の事業として今回初めて実施するのだが、国の事業としてある以上、行政の担当者が積極的に専門職や当事者に実施要項を説明して実施してもらうよう働きかけることが大事だし、地域の精神障がい者が安心して過ごすためには、お互いで支え合うピアサポート支援が必要不可欠な自立支援であることを理解して推進することが求められる。
以前から国はピアサポートによる効果を認めて、退院支援や地域移行において事業を予算化して組み立てているが、それを実施する行政担当や専門職や当事者の理解・改善する意欲の低さ及び連携のなさによって実現されなかったのが現実である。
そのような現状を踏まえれば、当事者自身が現状を改善するために関係者と連携して積極的に国の事業を活用し、ピアサポーターとして公に認められることを推進して、従来の専門職主導の支援からピアによる同じ立場の支援によって、より生き辛さを理解し、納得感が得られる効果のある支援を実現してほしいものである。
宮崎県としても率先して国の事業を活用し、行政・専門職・当事者が連携して、退院支援や地域生活においてピアサポーターの持っているストレングスを発揮して、仕事や地域でピアサポーターが生き生きと現状を改善していく姿勢を推進してもらいたいものである
2022/01/08
あけましておめでとうございます。
2022年もご支援・ご協力をお願いいたします。
日本弁護士連合会の人権擁護大会でのアンケート調査に、入院経験がある人の約8割が入院中に「悲しい・つらい・悔しい」などの体験をしたことや、約4割が「入院に納得できなかった」ことが明らかになったという。
自由記述欄には「孤独」「収容所のようだった」「一人の人間として扱われなかった」「飼育されているようだった」などの言葉が並んだという。
理不尽な行為がまかり通ていることに憤りを感じて、居ても立っても居られない気持ちを持ってしまうのは私一人だろうか。
現実は、誰もが精神疾患に罹患する可能性は高いし、いつ精神科病院に入院することになるか、もっと自分事として精神医療を考えないと明日は我が身が隔離されて理不尽な行為を受けるということになるかもしれない現状である。
精神科病院の閉鎖性を改革し理不尽な行為が起きないようにするか、弁護士連合会の「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」のシンポの報告書が388ページに亘り記載されているとこに弁護士という立場からの改革案が医療と地域に対して提起されていることに精神障害の息子を持った家族として、また精神の支援者として心強く感じる次第である。
人として退院して、地域で自立した生活が成立するには家族だけの支援では再入院の繰り返しになるのでそれを避けるには、地域での支援として多職種の方達の連携による密着した支援が望ましいというのが定説なのですが、中々その支援が実現できない現実でもあるなか、弁護士連合会として明確に精神医療や地域生活まで幅広く包括的に報告書で提案されているとこに感心した次第である。
2021/12/04
ヤフーニュースに『精神科病院への強制入院は「飼育されているよう」 日弁連シンポでアンケート調査報告』という見出しで記載されているのをみて愕然とした次第である。
見出しの「飼育」という文字から連想するのは、1960年代に日本医師会会長の武見太郎氏が精神病院経営者を「牧畜業者」と呼んだことを思い出す。
1958年に医療法で一般病院とは違い精神科病院には特例として医師・看護師が少なくてよいという精神科特例を作り、医療金融公庫から低利で長期の融資制度を作って、国として多くの民間の精神科病院の設立を促進することになる
1960年あたりから先進国は入院から地域へという脱病院という政策を実施するが、日本は病床数が急激に増え入院者が増えるという先進国とは逆行した政策を行う。64年にライシャワー(駐日米国大使)事件が起き、犯人が精神障がい者であったことで新聞などが、危険人物を野放しにしないように、という記事がでることで、社会的に「危険・怖い」という偏見が助長され、入院による隔離が正当化されるという状況を生んでしまった現実がある。
前回も記載した、日本精神科病院協会の設立趣意書に治安の妨害者として精神障がい者を位置づけているとこに、今だに精神障がい者を隔離する事が善という医療者が存在しているのである。
それは回復させるではなく地域から隔離するという、人として最悪の人生を強いた歴史が、今でも存在するという現実である。
この入院という隔離に対して、10月に日本弁護士連合会の人権擁護大会(岡山市)が14日・15日に開催され、14日の第1分科会 「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割~」では、精神障害のある人の強制入院の問題点について、当事者や精神科医が意見を交わし、精神科病院に入院したことがある人から得られたアンケート調査の結果報告もあり15日には「精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議」が採択される。
・ヤフーニュース:精神科病院への強制入院は「飼育されているよう」 日弁連シンポでアンケート調査報告
https://news.yahoo.co.jp/.../bb3e309faedfb3c941a17f5d6fc5...
・「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」シンポの報告書
https://www.nichibenren.or.jp/.../dai1_bunkakai...
・精神障害のある人の尊厳の確立を求める決議文
https://www.nichibenren.or.jp/.../civ.../year/2021/2021.html
・大熊一夫氏「病院経営が一番、患者の人生は二番」でいいのか!
https://www.dinf.ne.jp/.../prdl/jsrd/norma/n396/n396004.html
2021/11/03
以前から息子の問題もあって精神医療、特に精神科病院の閉鎖性や人権問題について意見交換の機会を作ってきましたが、東洋経済オンラインに「精神医療を問う」という連載タイトルで14回の連載が記載されたので、精神障がい者自立支援ネットワーク宮崎で紹介した文章をちょっと改稿して記載しました。
記事のコンセプトは、精神科病院の現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。本連載では日本の精神医療の抱える現実をレポートしていくという視点で取材された記事。
14回目の最終の記事は『「社会守る」精神病院で人権侵害が続発する大矛盾』ということで取材を通してまとめられた記事が記載されています
日精協は1949年の発足時、その設立趣意書で精神科病院を「常に平和と文化(と)の妨害者である精神障害者に対する文化的施設の一環」と表現している。つまり精神科病院への隔離収容は、精神病者に対する優生的処置の有効な方法というわけだ。
もし山崎会長(日本精神科病院協会)の発言にあった、社会秩序の維持と保安を精神科病院の役割として強調しすぎると、とうに放棄したであろうこの趣意書の思想へと、精神医療は先祖返りすることになりかねないのではないか。
と記事が記載されているがごとく、現会長は精神科病院が社会秩序を守ってやっている、保安を守るために隔離している、と精神障がい者=犯罪を起こす者=隔離という指向性のある方で、他にも問題発言をする意識の持ち主に、病院内における人権侵害を協会として問いただす自浄作用などない協会であるのは自明の理なのです。
患者の回復より隔離を目的に長期入院をよしとしている精神科病院もあり、国の施策である入院患者を地域に移行させる施策も遅々として進まない現実です。
日本精神科病院協会がコロナに関して全国の精神科病院にアンケート調査したことが新聞に「精神科入院の235人、コロナ重症化で死亡…別の病院に転院できず」という記事が掲載されましたが、転院を断る理由に施設の高齢者と同じで、手のかかる方を援助するだけのスキルとスタッフ不足もあると思いますが、精神障害者への偏見もあると思います。
その偏見や人権侵害に精神科病院協会自体が積極的に解消の為に研修したり改善した事例などを公に発信することもない現実に弁護士の方達が精神障がい者の病院内での人権侵害の問題を踏まえて入院に頼らない地域生活を推進するシンポジウムを開催されます。
10月14日に岡山県で日本弁護士連合会の人権擁護大会シンポジウム「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして」が開催されるに先だって、新潟県弁護士会は、同シンポのプレシンポを企画されています。
基調講演は、精神障害のある人の人権について造詣の深い池原毅和弁護士を講師に迎えて開催されます。
・東洋経済オンライン「精神医療を問う」
https://toyokeizai.net/articles/-/456826
・10月2日の新潟弁護士会のシンポジウム
https://niigata-bengo.or.jp/%e7%b2%be%e7%a5%9e%e9%9a%9c.../
・10月14日に日本弁護士連合会のシンポジウム
https://www.nichibenren.or.jp/event/year/2021/211014.html
・「精神科医にも拳銃持たせて」病院協会長が機関誌で引用
https://www.asahi.com/articles/ASL6Q5KH0L6QUCLV00Y.html
2021/05/13
映画「新聞記者」がラインアップされていたので早速見ることになり、今の時代を反映した映画であるとこに目を奪われてしまう。
中々、見ごたえのある映画であり、その要因としては、フィクションとノンフィクションの狭間を映画という特性を生かして描き切っているとこに映画独自のリアリティを感じることができる映画だと思える。
映画.comの特集に記載されている文章が実によく言い表している。
「忖度」や「自粛」といった及び腰な姿勢は一切なく、今この瞬間の日本社会の“ひずみ”に堂々とスポットを当て、新聞記者とエリート官僚が内外から巨大な政府に挑んでいく姿を、鋭い筆致で描き切っている。
生ぬるい映画に飽きている映画ファン、本物の“覚悟”を持った作品を求める者に、本作は力強く応えてくれるだろう。「こんな映画を待っていた」――エンドロール後、きっとそう思えるはずだ。
テレビドラマの「ドクターX〜外科医・大門未知子〜」のシリーズも動画配信で観ることになり、2012年から2019年までに第6シリーズが放送される人気シリーズとして不動の地位を確保しているドラマらしいので配信されているのを全て見ているとこである。
主人公大門未知子の特徴は、「私、失敗しないので」と「致しません」というセリフが組織や権威の世界に息苦しさを感じている大勢の視聴者の共感を得ているからではないかと思える。
「私、失敗しないので」と度々言うのは「患者は一度失敗されたらその時点で終わり」という医師としての真摯な信念に裏打ちされた発言であると考えられる。
病院という権威の象徴である白い巨塔のヒエラルキーを容認する行為に対して「致しません」と拒否するとこに主人公の孤高の意志を貫いているスタンスに共感してしまう。
また、ドクターXのテーマソングによって主人公が手術室という荒涼とした現場に佇んで、孤高に戦っている姿を音楽でよりエモーショナルを強調していると思える。
在野で孤高な意思を現実に貫くことがどれほど厳しいか、考えさせられるけど、団塊世代がそろそろ最期をどう迎えるか考える時期が来ている中で、この世を息子や孫に引き渡せるだけの成熟した社会なのか、そうでなければ改革する意志を貫いて最期を迎えたいものである。
2021/04/05
地域活動支援センターあわいやの代表で「書」を生業としている生駒新一郎氏がFBに、「公募展をみると、技法が目に付き、そこに選別の基準があるように感じられてならない」という言葉に触発されたので思いを綴ってみた。
公募展において評価の基準という普遍的なものなどないので、一般的に評価される基準は、テクニックや構図やローカル色で選別評価するのが公募展の選考基準だと思える。
極端な話、審査員の好みの感性で選別されるのが現実なので、公募展でどうしても入選や入賞を目指すのであれば大学入試と同じで審査員の「傾向と対策」をしっかり調べて作品制作することをアマチュアとして公募展を生きがいにしている人には、進めたりしたものである。
ただ、作品を制作するということは、その人の個性や感性を発揮することが最優先なので、そのためには人の意思や一般的な評価に従うのではなく独自の美的感性を表出すことが求められるので、一面的な美ではなく多様な美が成り立つアートの世界であるべきと考える。
芸術家も孤独に耐えられず自分たちの表現を讃える仲間と徒党を組んで画壇や文壇というものを作り、その壇が色々な基準で評価することで党派性を強めピラミッドを形成して権威を生み出すという現実であり、人生においては学閥が幅を利かせているのと同じで、肩書やどこに所属しているかで評価されるのが日本の権威主義社会なのである。
大人になると社会で生きていくための色々な処世術が身についてくるけど、アートの世界は、ビーイング(being)ありのままの自分を表現することが評価されるべきだし、無名であれ個人的によいと思えば評価する姿勢が鑑賞者にも求められていると思える。
在野で自分を信じて孤高に制作しているアーティストがいるのも現実で、そのようなアーティストを評価するアートの世界であってほしいと思う次第である。
2021/02/10
2020年をふりかえると、1月に映画「ケアニン」&加藤忠相氏講演会を開催した時には、日本でコロナ感染者も出たばかりだったので開催が可能でしたが、2月あたりからイベントの開催が中止や延期という状況になって、色々と規制や自粛を求められる生活になってしまい、非常事態宣言まで発令されるという今までに経験したことのない日常生活を体験し、現在も感染拡大が収まらない中終息のためにそれぞれが感染予防に努めている状況です。
新型コロナ感染で誰もが軽症ですめば問題にならないのですが、高齢者及び基礎疾患を持っている人が感染した場合に重症化に至ることが最大の問題であると同時に、感染症である以上入院が必然ということなので病床を感染者で占有されることによって他の緊急を要する疾患に対する治療ができない状況になり、命の選別をするという今までに経験したことのない現実が身近に迫っている医療現場です。
如何に医療崩壊を回避できるか、専門家や医療関係者が提言して訴えているけど国の感染対策として具体的に医療支援などが実行されることなく感染拡大が続いている現実です。
高山義浩医師(沖縄県立中部病院感染症内科・地域ケア科)の発言として、『私たちの国は、リスクに対して自己管理ができる社会であってほしい。まあ、ギリギリのところに立ってますね。
社会における感染対策とは、「個々がリスクを理解したうえでの自己管理の重ね合わせ」であってほしいと思うのです。』
あくまでも個人で守るべき対策はしっかり守ってリスク回避しながら、国に鍵をかけられて隔離されることのない国であってほしいし、国もしっかり国民を守る感染対策を実行してほしいものです。
浜 矩子氏(同志社大学大学院教授 )の言葉
「政策の役割は弱い者に手を差し伸べることにある。支えがなければ生きることがままならない人々の暮らしを守る。そこに公助の意義がある。」
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